「知らない」ということは「罪」である
私が新人看護師のころ付き合っていた彼氏に「行きたいとことか、食べたいものとか意見出してよ」と言われたことがあります。
私は彼氏と一緒ならどこに行くのも楽しいと思っていたのですが、彼は毎回デートスポットをリサーチするのが苦痛になっていたようです。
疲れたのでしょうね…。
結果、彼とは別れることに…。
ショックで親友に泣きながら状況報告。
私はデートスポットや美味しいお店とかに疎く、どこにいけば楽しめるのかなんてまるで知らなかっただけなのに…。
親友は慰めながら私にこう言いました。
「知らないことは罪なんだよ」
あぁ…そうか。
私は彼に罪を犯していたんだ。
まずは興味を持つこと
私は無関心な人間です。
自分でも気づいていました。
ただ今までそのことで損をしたことはありません。
…と思っていました。
でも彼との別れを機に、街の情報誌で新しくできたオシャレなカフェや雑貨屋がないかリサーチしたり、友達を誘って行ってみたり…
そうするうちにだんだんといろいろなことに興味が出てきて、知らないことをたくさん知ることができて楽しくなりました。
世の中ってこんなに知らないことがたくさんあるんだなぁ…としみじみ思いました。
看護とは患者に関心を持つこと
以前ブログに私は最初からなりたいと思って看護師になったわけではないと書きました。
その理由の1つが、無関心だったからなのです。
看護は相手に関心を持つことから始まります。
この患者さんはどのような人なのか。
何が好きで、何が嫌いなのか。
趣味は。仕事は。家族構成は。
など患者さんのことについて知ることで、その患者さんの望む看護とは、ということを考えていきます。
患者さんがどういう人なのかがわかれば、どういうふうに対応すればいいか、どのようにしてニーズに応えていけば患者さんが満足するかが見えてくるものです。
これが難しいんです。
ただ患者さんから根掘り葉堀り聞くのではなく、基礎情報(名前、年齢、家族構成、喫煙歴、飲酒歴、家族構成など)だけ入院時に確認して、あとの深い部分は少しずつ日々の入院生活で関わりながら情報収集する…
患者さんの数が多いし、他人のことなのでいちいち覚えられないんですよね。(患者さん申し訳ありません)
他人に関心を持って接するって、結構技術が必要なんですね。
知るということは学びとなる
仕事をしていると、実践したことのないことをいきなり実践しないといけないような場面に出くわすことがあります。
こういう時に、教わってないからできないよ、ちゃんと教えてよ、とついつい思いがち。
人から教わらないとできないこともあります。ただ、自分ができなかったことを振り返って、自分で調べて学ぼうとすることが求められるんだと思います。
新人看護師が、わからないことをなんでも聞いてくることがありますが、私は全てを教えることはありません。
教科書に書いてあるので。
聞こうとする姿勢は立派です。
私のように無関心では学ぶことができませんから(おかげで苦労しました…)
でもなんでも聞けばいいというスタンスでは学べません。すぐ忘れます。
まずは自分で調べる。これが大事。
知ることで視野が広がりますよ(*'▽'*)